SPECIAL 直径24.5センチのバスケットボールに全てを賭ける至高のバスケットボーラーが問う「成長に必要なもの」|琉球ゴールデンキングス 岸本隆一

2017年10月19日
沖縄が日本に誇るバスケットチーム「琉球ゴールデンキングス」。現在のBリーグの前身、bjリーグでは最多優勝回数を誇る名門チームにおいて、ガードを務めるのが岸本隆一選手だ。穏やかな口調と丁寧で控えめな態度からは想像もできない熱いプレーが身上で、年齢や性別を問わず熱烈なファンが多い。ガードはその役割から「コート上のコーチ」とも称されるほど、攻守においてチームの要となる存在。その重責を担うキャプテン「岸本隆一選手」をバスケットとの出合いから紐解いて見ていきたい。
岸本選手①

兄の影響で始めたバスケットボール ただひたすらにボールを追い続けていた少年時代

▼バスケットとの出合いをお教えいただけますか? 「11歳離れた兄の影響で、物心付く前からバスケットボールには触れていました。実家の庭にバスケットゴールがあり、兄が友人とバスケットで遊んでいるのを真似するようにバスケットボール遊びをしていた記憶があります。気付いた頃には『バスケットが日常の中に組み込まれていた』という感じですね。年齢の離れた兄は、僕にとって昔も今も『イケてる存在』(笑)で、そんな兄をずっと追い続けている感じでしょうか。今現在のスタンスもそうですが、常に自分以上の誰かに出会い、目標にし、その誰かを超えていく。そうやって一日一日を繰り返してきた結果が今の自分に繋がっていると考えています。そういう意味でも、今もその背中を追い続けている兄の存在というのは、僕にとって切っても切り離せないものなのかも知れません」 ▼小さい頃はどういう子どもでしたか? 「近所の子ども達と一緒に遊ぶ、ごく普通の少年だったと思います。とびぬけて体格が良かったわけでもありませんし。ただ、体育は得意で大好きな授業の一つでした。余談ですが、小さな頃から何故か『国語ができる人=イケてる人』という認識があり、その思いを持ち続けたまま成長したので大学では国語の教員免許も取りました(笑)。思い込みの強さというものは昔からあったのかも知れません。兄の影響で始めたバスケットですが、『一番の遊び』として楽しみながら取り組んできた結果、小学校に入る頃には『人よりバスケットができる』という自信がついていました。顧問の先生に直談判し、小学3年生の時点で通常より早くバスケットボール部に入れていただくことができました。周りは上級生ばかりでしたが、『この中で自分が一番上手い!絶対NBAで活躍する選手になる!』と本気で思っていたのを覚えています。顧問の先生も、『楽しむことが第一優先』というスタンスでしたし、上級生も温かく接してくれていたので、ただひたすらに楽しくバスケットに取り組んでいたと思います。部活だけでは遊び足らず、部活終わりには近所の体育館に移動し、さらにバスケットを楽しんでいたほど。体育館には地元の中学生や高校生のほか近くにある名桜大学生たちもプレーに来ていましたが、そんな大学生に交じってゲームをしていました。思い返してみても、小学生の頃から相当な自信家であったと思います。過信を助長するわけではありませんが、自分自身に対する自信はなくてはならないもの。自信を持つからこそ前に進めるのではないでしょうか」 岸本選手②

今の自分自身を正面から受け止めてこそ 新たなるスタートが切れる

▼プロとしてバスケットに関わっていきたいと本気で思ったのはいつ頃ですか? 「中学校に進学し、バスケットボール自体がより部活らしく変化しました。上下関係の厳しさや、ボールに触れることすら許されず、ただひたすら走り続ける日々。最もバスケットがキツい時期でした。そんな中、ひとつの転機が訪れます。それは都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会(ジュニアオールスター)の沖縄選抜に選ばれたことです。あまりにも突然のことで驚きはしましたが、『当然の結果』、『優勝してMVPを獲る』など自信家の一面も確かに持ち合わせていました。自信満々で臨んだ大会でしたが、現実の結果はベスト8止まり。同世代の圧倒的なテクニックやスキルを目の当たりにし、『井の中の蛙』であったと中学生ながらに思い知らされました。『このままじゃいけない』と魂のレベルで感じ、本当の意味においての競い合いを学んだ気がします。まさにこの頃、『バスケットのプロとして、食べて行けるようになりたい』と強く考え出したと記憶しています。プラスもマイナスも全て含め、今の自分自身をしっかりと受け止めること。そこからでしか物事のスタートは切れないと思っています」

技術のみならず、バスケットに対する意識を 成長させてくれた恩師との出会い

▼高校で心に残った出来事などはありますか? 「憧れの存在であった金城バーニー監督に声を掛けていただいたこともあり、監督が率いる北中城高校への進学を決めました。金城監督は沖縄バスケットボール界のレジェンド。『この人のもとでバスケットがしたい』という想いはもちろんありましたが、それ以上に『この人のもとじゃないといけない』という切羽詰まった想いの方が強かったかも知れません。思い返してみれば、自らの意志で初めてバスケットへの方向性を決めた瞬間だったと思います。高校に進学し、金城監督のもとで学びはじめた内容は、まさに全てが特別なものでした。バスケットボールのセオリーとして、相手リングにいかに近づくかが一般的には問われますが、金城監督は真逆の考え方をされていました。『ゴール下には体格も体力も技術も、全てが特別な相手選手が陣取っている。そんなところに入っていくよりも、離れて戦えばイイじゃん』と。僕と同じようにバスケットボール選手としては小柄でありながら、自分よりも大きな選手を相手に互角以上の戦いを続けて来られた金城監督。その考えやエッセンスをとにかく叩き込まれました」 ▼金城監督との出会いを通し、技術面以外でも大きな変化があったそうですね? 「バスケットに対する姿勢を学ばせていただいたのも金城監督からでした。もともと、あまり感情を表に出すのが得意ではなく、淡々とバスケットに取り組んでいるように捉えられていたのかも知れません。そんな中、『バスケットを本当に楽しんでやっているのか?おまえのプレーからは、それが全く伝わってこないぞ』と言われた言葉が深く胸に刺さりました。もっともっと小さい頃、ただただ楽しくて楽しくてバスケットをしていた時の感情を改めて思い出し、意識的に感情を表に出すように努力しました。ある時、試合で思い通りにプレーできなかったことがあり、金城監督の目の前でバスケットボールを思いっきり蹴ってしまったことがありました。当然、監督から厳しく叱責されるものと覚悟をしていましたが、その日の夜にいただいた金城監督からの電話では思いがけない一言を投げかけられました。『おまえのあの姿勢、最高だよ』と。もちろん、バスケットボールを蹴るという行為は決して許されるものではありません。しかし、それを差し引いてでも『抑えきれないほどの悔しさと、爆発的な感情の高ぶり』を評価して貰ったのかも知れません。僕はある意味とても自信家で、誰よりも上手くバスケットができるという思いは常に持っていますし、そう思っていなければならないとも考えています。しかしながら、目標とする人、師と仰ぐ人、周りの人々からのメッセージはしっかりと受け止められる自分でありたいと思っています。まだまだ目標とするレベルまで到達していませんが、自信と謙虚さを併せ持てるように努力しています」 岸本選手③

自信と挫折を繰り返し 模索し続けた自分自身の在り方

▼高校から大学へと進学する中で、新たな挫折を味わったとか? 「優勝こそなりませんでしたが、高校時代はチームとしてインターハイ最多得点数をあげるなど、確かな成長の手応えは感じ取れました。その後、声を掛けていただいた大学の中から大東文化大学に進学。個人技を生かしたバスケットを展開するスタイルに惹かれ、この中で自分自身をさらに磨きたいと考えました。『個人技には絶対的な自信があり、思う存分暴れてやろう!』とも。高校バスケで十分な自信をつけたこともあり、大学でも十分通用すると思っていました。まさに、希望だけに満ち溢れた大学デビュー。しかし、実際は40分の試合の中で使って貰える時間がわずか数分という状態。またしても鼻っ柱をへし折られた気分でした。小学生から中学生へ、中学生から高校生へ、高校生から大学生へ、進学することで新たなチームの最下層になるわけですから当たり前の話なのですが、自信過剰であるが故の弊害かも知れませんね。大学進学後1~2年ほど芽の出ない時期が続き、正直腐りそうになっていたこともありました。しかし、裏を返せば『自分の周りに常に上手い人、倒したい人がいる』ということ。だからこそ目標を見失うことなく続けて来られたのだと思います。3~4年生になる頃には今まで積み重ねてきたことが徐々に実りだし、インカレ出場も果たすことができました」 ▼大学時代ではキャプテンも務められたそうですが? 「キャプテンと言っても、そんなに大した理由もなく『誰もいないし、じゃあ岸本が……』的な感じのノリでした(笑)。もともと誰かを率いて進んでいくタイプでもありませんでしたし、最初はかなり戸惑いました。それまでの自分は、『チームの為に』と常に考えているつもりでいながらも、実際は自分のことだけを考えてプレーしていたと気づかされました。思った以上に周りが見えていなかったというか……各地の高校から、腕に覚えのある生徒ばかりが集まっているチームでしたから、その中でさらに試合に出て活躍しているメンバーは、それだけでモチベーションも技術も高い。しかし、それだけではチームとはいえません。試合に出られないメンバーのモチベーションをいかに高めていくか、悩み続ける毎日でした。余りある自信を携えて集まったメンバーだからこそ、みんなそれぞれに考え方や思いがある。だからこそ僕にできることといえば、一人ひとりに対して真摯に向き合うことだけでした。励ましや応援の言葉ではなく、心からその人の思いや考えに寄り添うことが一番大切だと思います。結局、自分自身が相手に対して提供できるものしか返してもらえない。本気で真摯に正面から向き合うことで、時間はかかるかも知れないけれど、本人が自らの意志と力で動いてくれるようになると。相手に対して「こうして欲しい」を問うのではなく、自分が相手に対して「何ができるのか」を問うことだと思います。人と自分は鏡のような存在で、自分の態度や行動がそのまま相手に反映されているのではないでしょうか。これもキャプテンという重責を与えていただいたからこそ気付けたのだと思います。人生の時々に出合う想定を超えたハードルは、そのたびに様々な気付きや成長を自分にもたらしてくれると確信しています」 岸本選手④

琉球ゴールデンキングス史上初となる アーリーエントリー制度での入団

▼プロを目指す過程は順調に進んだのでしょうか? 「大学3年生の頃には、琉球ゴールデンキングスをはじめ、いくつものチームから声を掛けていただけるようになっていました。その中でも、琉球ゴールデンキングスのGMが最も熱心に声を掛けてくれたのが印象的で、強く心に残りました。琉球ゴールデンキングスは僕が高校生のときに発足したばかりの比較的新しいチームでしたが、とにかく勢いがあり、他を圧倒する強烈な強さを誇っていました。もちろん自分自身が生まれ育った沖縄のチームということもあり、常に興味と憧れの対象として見ていました。しかしながら、最終的に琉球ゴールデンキングスを選んだ理由は、熱い気持ちを本気でぶつけてくれたGMの想いであったと思います。そういう意味において『人の想いに共感する』ことが、自分を最も強く突き動かす原動力だと確信しています。大学卒業後の4月入団ではなく、トライアウトもドラフトも必要としないアーリーエントリー制度を使った2月入団となりました。琉球ゴールデンキングスにとって初めてとなるアーリーエントリー制度の活用と聞き、自分自身に対する期待の高さに胸が引き締められたのを今もはっきりと覚えています」 ▼プロ1年目にリーグ優勝、新人賞獲得、プレイオフファイナルでMVP獲得など華々しいデビューを飾りましたね? 「実際は悩みと挫折、葛藤の連続でした。成功した部分や、評価された部分だけがフューチャーされますが、現実はそれほど順調なものではありませんでした。相変わらず自信満々で『自分が一番に違いない!』なんて思っていましたが、入団当初は試合で使っていただける時間は1試合あたりわずか2~3分。思うような結果が出せず、苦しい時間ばかりだったような気がします。1年目こそ優勝チームの一員として試合に出させていただいていましたが、真価が問われる2年目にはセミファイナルのホームゲームで敗退。苦い思い出もたくさんあります。もちろん、辛い現実に真摯に向き合ってきたからこそ、その翌年にはbjリーグ全チーム最多となる4回目の優勝につながったのだと思います」 ▼2016年に発足した「B・LEAGUE(Bリーグ)」2年目に向け、今後の抱負や目標をお教えいただけますか? 「2つのリーグがひとつになったため、今まで以上にさらにハイレベルでタフな戦いが続きます。個人技だけでなんとかなる世界ではなく、チームが本当の意味においてチームとして機能していかなければならないと思います。また、今までは戦術や技術を磨き上げたスマートなバスケットを展開していましたが、これからはもっと一球一球、一瞬一瞬を無我夢中で取りに行く。そういう泥臭いプレーや感情を出していかなければならないと思います。個人としての目標は、今後もずっと試合に出続け、活躍し続けられる選手であること。言葉としては単純ですが、プロフェッショナルの世界において『続けていく』というのは言葉以上の価値があると思います。毎年のように新たなスター選手がプロ入りしてきますし、プロになって数年という成長著しい世代がしのぎを削っています。その中で常に結果を出し続けていかねばなりません。いつもいつも上手くいくとは限りませんが、上手くいかない時こそ『成長するためのご褒美をもらった』と捉え、自分自身のさらなる進化に繋げていけるようこれからも努力を続けていきます」

超えるべきは自分自身 困難な時こそ人はさらなる成長を成し得る

岸本選手⑤ ▼最後に、「ジョブアンテナマガジン」の読者に向けて一言いただけますか? 「僕自身も日々勉強中で、自分自身への戒めを込めてとなりますが、プロスポーツの世界もビジネスの現場も、楽しいことと苦しいことが隣り合わせに存在していると思います。良い時は基本的に何をやってもうまくいくし、問題も起きない。しかし、苦しい時は本当に苦しく、『今がMAXに苦しい時』と思っていた状態からさらに悪化していくこともあります。そんな時こそ逃げださず、正面からその苦しさと本気で向き合うことが成長につながると心の底から思います。むしろ、苦しい時にしか成長は見込めないのではないでしょうか。今、人生の岐路に立つ、もしくは立とうとしている人がいれば、その瞬間にどこまでも真摯に、決して負けることなく向き合って欲しいと思います」 取材を終え、雑談の中で「岸本選手の一番大切にしている言葉」を伺ってみた。何気ない一言にこそ、本人すら自覚しない芯なる考え方が現れるものだ。岸本選手の答えはパブロ・ピカソの「明日描く絵が一番すばらしい」であった。今日の自分を明日超えていく、岸本選手の決してぶれない一貫した想いが垣間見えたようだ。 バスケットコートを縦横無尽に駆け巡る岸本選手が、来期に描く絵は果てしなく美しく、そして力強いものになるだろう。
PROFILE 岸本 隆一(きしもと りゅういち) 生年月日:1990年5月17日 出身地:沖縄県名護市 身長:176cm 体重:76kg ポジション:ガード 所属:琉球ゴールデンキングス <経歴> 屋部小学→屋部中学→北中城高等学校→大東文化大学
 
JOB ANTENNA MAGAZINE vol.5 「巻頭インタビュー」より

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