SPECIAL 「REAL FACE-リアルフェイス」萌芽の時代へと解き放つ|ひーぷー(真栄平 仁)【後編】

2016年12月24日
チャンプルー文化こそ沖縄の味。だっからよ〜、普通はジャンル分けされるのが芸能人たるものなのだが、彼は、司会、演芸、俳優、DJ、作詞、おじさん……などジャンルを問わず何でもこなし、常に活躍の場を広げている。多彩な才能を持つ者だけに与えられる称号マルチタレント。この沖縄でその冠を付けられるのは、“ひーぷー”ただひとりである。その彼が、また新たな才能を見せつけようとしているのだ。時代の夜明けをライブで見られるのは、まさに幸せの限り。ウトゥルサスンな、 マジュンやろっさ!
 

【前編はこちら】リアルフェイス/バラエティーだろうが、真面目だろうが、 自分の山を作ることがモチベーションに繋がる

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先行きの不安など考えない 人と違ったことをやるだけ

劇団にしてもラジオにしても、みんなにわかりやすい笑い、常に一般庶民の意識を大事にしてることがわかったんですが、大きな原動力としては地元の友だちの存在がやはり大きい?

「うるま出身ですが、面白いことが偉いという土地柄。僕の友だちは本当に面白い奴ばかり。高校のときなんか、僕も面白グループには入ってましたがグループ内では最下層。面白さでは一番下っ端だったけど、〝こいつおもしれー〟と絶対に認めなかった。そっちがそういうことやるなら、俺はこういうのやるっていつも思って活動してきました。高校の文化祭で、クラスの出し物で20分のコントを書いたんです。これが最初の作品ですね。青春もので人が死ぬ、やっぱり人が死ぬ。当時から人が死んだときはこの音楽かけて〜とか言ってました」  

この学祭のときに書いたコントからすべてが始まった。

「そうですね。2浪して琉球大学短期大学に入り、そこではお笑いというより琉大祭に燃えて、駐車場に遊園地を作ろうと思ったんです。まず設計図を作って那覇鋼材に持って行き『こういうのを造りたいんですが、学生でお金がないので貸してください』って臆せず言ったのがよかったのか、気に入ってもらい『わかった、おまえ、卒業したらウチ来い!』と。そんなこんなで、それぞれ長さが違う単管パイプを何百本、単管パイプを繋ぐジョイント何百個を借りられたんですが、3日間ある琉大祭の初日、2日目に間に合わず、結局最終日の朝にやっと遊園地ができたんです。イメージとしては『風雲たけし城』のような感じで、単管パイプでコースを作って横には板を張るなどした、いうなればアドベンチャーアトラクション。進んで行くといきなり巨大な鉄球が前から来て逃げて、深さ2メートルの穴を掘って県内中から集めた発泡スチロールの海を渡り、最後はカートに乗ってゴール。 これが子どもたちに大ウケで1回500円でしたが、たった一日でペイできました。そして、最後はみんなでビールかけして泣きながら終わったという感じです。まあ、昔から本番に向けて何か作るのが好きなんです」  

高校の文化祭といい、大学の学祭といい、はじめから本格的なものを作ってしまうんですね

「はじめから無理だな〜と考えてないです。最初に面白いことを考えて現実的にダメならちょっとずつ下げるといった感じで、ちょっとずつジャンプしていくのが面倒臭いんで思い切りジャンプしてから下げていったほうが近道かなと思いまして(笑)」  

ホップ、ステップなしのジャンプですか……。

「琉大ではそんなことばかりに熱中していたんで卒業してから燃え尽き症候群になってしまったんです。周りの友人は公務員になったり、サラリーマンになったりするんだけども、僕は全然働く気がなくて……それで名目上、四年制大学の教員免許が欲しいということで沖縄国際大学に3年時編入するんです」  

名目上ってことはまさか……。

hipu02   「はい、親に頭を下げました。これが初めての土下座です」  

あれ? これが初めてだと、お笑いやるとき、劇団を立ちあげるときもありますから全部で3回?

「土下座したことには変わらない。何か期するものがあったらいつでもどこでも土下座します(笑)」  

編入してからどうだったんですか。

「3年時からの編入だから友だちはひとりもおらず、ずっと下向いてタイルばかり数えてました。あの教室までは256タイルだな〜っと。この沖国の2年間で次のことを考えようと思ったんですけど、どうしても普通のサラリーマンをするイメージが湧かず、教員試験を受けてもその気がないんで受かるわけないじゃないですか。ただただ倍率を上げるだけ。やっぱりなぁ〜ってなり、それで沖国を卒業するときに、やっぱりお笑いやりたいな〜って」  

ここからお笑いの道に編入なんですね。

「編入というか突入ですね。最初、地元の祭りでバンドをやらないかっていう誘いがあって久しぶりに高校の同級生に会ったとき、相方もそこにいたんです。僕はベースで、相方はドラム。でも練習には僕と相方しか来ない。ブンブンブン、ドンドンドンじゃ、どんな曲を弾いたって面白くない。それで、ネタ書いて来たんだけど一回漫才やってみないかってなって、バンドの練習のはずが漫才の練習をばっかりやっていたんです。それで、ある程度形になったときに、年下のボーカルの女の子の披露宴でお披露目するとことになり、そこに新郎の友人として列席していたのが今の事務所の社長。漫才は大ウケで、それを見た社長が一緒にやらないかと誘ってきたんです」  

そこからオリジン・コーポレーションを立ち上げたんですね。

「いやいや、そうじゃないんです。当時、ウチの社長がモデル事務所に所属していて『お笑い部門作るからウチに来ないか?』と言われても、〝いやいやいや、初めて会ったばかりであんたが誰かも知らんし〟って感じですよ。数カ月後に、O-1グランプリの前身にあたる『第1回素人お笑い選手権』があったので、『優勝したら考えていいですか?』と答えた。それでグランプリを取ってFECさんや笑築さんからスカウトがあったんですけど、『自分たちでやります』と断って、社長とオリジンを作ったんです」  

そこはちゃんと社長との義理を果たしたんですね。

「義理とかじゃなく、おまえなんかより俺のほうが面白い、面白くないところへなんで行かなくてならないってことなんです。僕の気質は、人がやっていることと違ったことやる。誰かの下につくという感覚がないんでしょうね」  

ルーツをもっと探りたいんですが……幼き頃の夢って何でした?

「小学校の頃は、博士になってマジンガーZとか作りたかった。父は理科の先生で、母は国語の先生だったので、母の影響か本が好きでよく読んでました。博士になりたいのに思い切り文系でした。小学校のときに〝お話大会〟というのがあって、ひとつの物語を全部暗記してクラスの前で身振り手振りを交えて5分ほど発表するんです。嫌だなと思いながらクラス代表になって、家で母親から練習させられました。スポーツは普通にできるんですけど、そんなに好きじゃなかった。小学校の頃からダイレクトな競争が嫌でした。だからなのか、中学は吹奏楽部に入ってました。みんなでコンクールのために一生懸命練習して、3年生が最後の大会に銀メダルになって涙を流す、いいなあと思ってました。自分たちの中で目標があって誰かと競争するんではなく、それに向かって進むっていうのが好きなんでしょうね」  

今までのお話を聞いていると、小学校の頃の“お話大会”では人前で話しをし、吹奏楽部で目標に向かって自らの責任のもと切瑳琢磨する、お笑い、劇団も然りで、今のひーぷーさんのお仕事にすべて直結し、一環しています。

「言われてみたら一環してますね。振り返って初めてわかった(笑)」

遅咲きのイメージがありますが、年齢ってどこか気にしていましたか?

「僕がもし25歳なら今の人生と同じことをやりたい。お笑いの事務所を立て、劇団を作り、もっと早くやりたかった。なんなら大学など行かずに18からやればよかった。何をやるにしても年齢なんて関係ない。35歳でやっとラジオのレギュラーがもらえたので、35歳だって全然遅くない。ただ、サラリーマンになるにしても自営をやるにしても僕の中でひとつだけ法則があって、人の山を登るんじゃなくて、小さくてもいいから自分の山を作って登ること。組織に入って年が経てば係長、課長、部長と上がっていくと思うがそれは会社の山であって、自分の山ではない。自分の山を持てば自分が頑張ればどんどん山は高くなるし、他の誰かが自分が持っている山を高くできない。要するに自分しか山を高くできない。低いのも高いのも全部自分の責任だし、他人と比べる必要もないし、自分の中で目標があったほうが会社に入ってもモチベーションが違ってくる。なにをやるにしても自分の山を持っているイメージでやったほうがいいですよ」  

では、この業界に入ったときの目標、自分の山ってなんだったんですか?

「目標はなんでしたかってよく聞かれるんですけど、芸人やっているときから売れたいとか冠番組持ちたいって一度も思ったことがない。相方とよく言っていたのが、俺たち世界で一番面白いよな、これをどうやって広めるのか、それだけを考えていました。まずはライブだな、そしてテレビで面白いってことみんなに知ってもらって広まれば、自ずといろいろなものがついてくるじゃないですか。劇団のときもやってることの面白さがどうやったら世界に伝わるかなと。別に無理して決めつけているわけではなく、自然にこう思うんです。僕より面白い人はたくさんいるかもしれないけど、この仕事をやるにあたって僕らが面白いと思わなければ、この仕事やらないです。番組を持ちたい、東京に行きたいと一度も思ったことがない。ただ東京の人にどうやって伝わるかなと。沖縄の美味しいものは沖縄でしか食べられないのと一緒で、中央に行くんじゃなくて中央の人たちがこっちに見に来て欲しい。そんな感覚しかないですね」  

最後に、ご結婚おめでとうございます。独身最後の大物ひーぷーさんが福山雅治についで籍を入れた報を聞いたときはなんというか……

「ありがとうございます。ずっとこっち(オネエのポーズ)だと思われてましたから」  

正直、マスメディアはホッとしているところです。

「僕もホッとしてます(笑)」 %e8%a8%98%e4%ba%8b%e5%86%85%e7%94%bb%e5%83%8f 絶えず次のステージを貪欲に欲していただけに経済番組のMCを担当することの嬉しさを噛み締めているひーぷー。違ったことをやる嬉しさもあるが、今まで持っていた自分の中の姿を表に出せる喜びのほうが勝っているように見えた。 「出演している企業家の方たちは、皆さん山を持っている方たちです。その山も年代によっては種類も違うので、その山を見るのが楽しみです」 鋭い観察眼から発せられる話術でリスナーたちを虜にし、安定感が持ち味のひーぷーが、今回の挑戦により沖縄に一石を投じる役目を果たすのかもしれない。それは、観ている視聴者の皆さんのためというより、むしろひーぷー自身のために……。  
ひーぷー[真栄平 仁] 日本の舞台演出家・お笑いタレント。 沖縄県うるま市出身。 劇団O.Z.Eの代表として脚本、 演出、舞台美術などを手掛けるほか、 TV・ラジオ出演、イベント司会など マルチに活動している。
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