SPECIAL 「REAL FACE-リアルフェイス」萌芽の時代へと解き放つ|ひーぷー(真栄平 仁)【前編】

2016年12月20日
チャンプルー文化こそ沖縄の味。だっからよ〜、普通はジャンル分けされるのが芸能人たるものなのだが、彼は、司会、演芸、俳優、DJ、作詞、おじさん……などジャンルを問わず何でもこなし、常に活躍の場を広げている。多彩な才能を持つ者だけに与えられる称号マルチタレント。この沖縄でその冠を付けられるのは、“ひーぷー”ただひとりである。その彼が、また新たな才能を見せつけようとしているのだ。時代の夜明けをライブで見られるのは、まさに幸せの限り。ウトゥルサスンな、 マジュンやろっさ!
01

リアルフェイス/バラエティーだろうが、真面目だろうが、 自分の山を作ることがモチベーションに繋がる

「僕は芸人ではない。ネタができない時点で芸人ではないんです」 つぶらに見える瞳の奥から何か仕掛けているような生温かい光を発し、モノトーンに語る。芸人ですよねと尋ねられたらと質問すると、「滅相もございません、です」と軽くオーバーリアクションですぐさま反応。いつなんどきも笑いに転じられる瞬発力。ラジオパーソナリティー、演出家、MCと沖縄では数少ないマルチタレントひーぷーイコール〝面白い〟という代名詞が、経済情報番組MCという未知なる挑戦によりさらに強烈な輝きを放つ日もそう遠くはない。  

チャンプルー文化こそ沖縄の味

まずなんといっても経済情報番組『沖縄ビジネス最前線JOB ANTTENATV』のMCとして新たな活躍場を広げておりますが、まさに新境地開拓って感じでしょうか。

「別に新境地開拓っていうオーバーなことではまったくないんですが、僕が前々から持っている真面目な部分を表に出して表現したいというのがずっとありました。1999年に劇団O.Z.Eを立ち上げてから15年ほど、演出、脚本といった裏方をずっとやってきました。メディアに出始めてから10年ちょっと。主にテレビラジオとバラエティー中心に活動してきたこともあって、劇団で裏方をやっている真面目な部分も表に出してみたい、そんな気持ちからです。別にテレビラジオが不真面目という意味ではないですから。バラエティーで笑わせるひーぷーと、真面目に語るひーぷーの二面性をうまくバランスよく出せられたらいいなということです」  

初めてやる経済番組にあたってどのような思いがありますか。

「政治経済に特別詳しいというわけではないけど年齢とともに興味が出て来たのは確かで、40代後半に突入し僕らが担わなければいけない部分が出て来る。責任として感じているのは、アラフィフ代表、庶民の代表として常に発信していきたいし、せっかくこの業界にいるだからという使命感というよりも、面白いことも真面目なことも同じようにやっていきたいというのが本心です」  

もともとは、漫才をやりたいためにこの業界に入ったんですよね。

「はい、〝ダーティービューティー〟という漫才コンビを組んでいたんですが、4年で解散。そこから劇団でずっと裏方をやってましたから」  

4年でコンビ解散した後、すぐに劇団を立ち上げたと言いましたが、用意周到に準備をしていたってことですか。

「お笑いを辞めた後、何をやりたいかなと考えたとき、人を感動させたいなという衝動に駆られたんです。簡単にいうと、人を笑わせた後、人を泣かせたいみたいなことです。劇団を立ち上げるときも沖縄にあるいろいろな劇団を見て回ったんですが、チケットがお笑いライブの2倍3倍するのにどれもこれもつまらない。芝居で使っている言葉は標準語、設定で電車に乗っているといわれてもリアリティなく、ここは沖縄なのに東京のシーンを延々と演じていてもまるでピンとこない。観ててもわけがわからなかったんです。まあ、不条理ものの劇っていうこともあったんですが。とにかく、見たことがなくても楽しめるもの、敷居を下げたかった。台詞も普段使っているウチナーヤマトグチ、スラングも含めた口語調にして、絶対に笑える芝居を作ろうと思いましたね」  

コンビ解散してからスパッと切り替えて劇団を立ち上げられたんですね。

「相方以外とはコンビを組んで漫才する気などサラサラなかったんで、1998年11月に二人で辞めようと決めて12月のライブで解散、翌年の1月にすぐ劇団を旗揚げしましたから。まったく売れてなかったし、相方も子ども2人いたし、30までに売れなかったら辞めようと二人で決めていたので、辞めることに躊躇もなにもなかったです」  

漫才を1994年に始められたわけですが、このときご両親には相談したんですか?

「僕は両親に2回土下座してます。まず両親の目の前で膝づいて『30まで漫才をやらせてください』と土下座しました。次にコンビ解散して劇団を旗揚げするときに、『35まで劇団をやらせてください』と土下座しました。約束通り、30までに漫才を辞めているので、親からしたら2回目の土下座も信憑性はあったと思います、きっと(笑)」  

売れない時代、そして困ったときの土下座

02

メディアに出だしたのがここ10年って仰っていますが、コンビ解散してからは劇団一本で活動されてたんですか?

「劇団の頭っていえば聞こえは良いですが、劇団を立ち上げたからといってご飯なんか食べられるはずがない。公演してもマイナスのときもあり、劇団員全員がノーギャラでずっとやっていましたから。35歳までずっとアルバイトしていました。OCNというケーブルテレビの夜中の電話対応をやっていました。深夜0時から朝の9時まで。料金の支払いが止まるとケーブルテレビが見れないのでブチ切れた顧客がクレームの電話をしてくるのを対応する。料金払ってない自分が悪いのに、酔って帰ってテレビが見れないものだから腹いせに電話して来たり、台風で回線が遮断され見れない人が電話をするんだけど、いくら言われても夜中だから何にもできないんですよね〜」  

ストレスが溜まる一方ですね。

「電話番のストレスなんかよりも、この時期は劇団関係者とは喧嘩はしょっちゅうするし、毎日酒飲んでました。500ミリリットルのビール缶6本飲んでました。朝9時にバイト終わってから酒飲んで、劇団の稽古が早く終わったときに飲んで、26歳でコンビ結成して以来、ずっとやさぐれていました。腐ってましたね」  

腐っていても劇団は続けたんですよね。

「劇団では立ち上げから5、6年の間は難しくないストーリーで笑えるコメディーな作品ばかり書いていたのが、だんだんと真剣な部分、例えば恋愛にしてもオチャラケではなくキレ味あるグサッと刺さるストーリー、友情にしても切ないもの……といった感じのものを書きたくなって、気付けば人ばっかり殺していた。時期によって表現の仕方が違うのだが、笑えるものばかり書いていたのが急に人を殺していく。今思うと相当心が病んでいたんでしょうね(笑)。通常だと、年に一本、多くて二本なんですが、後発の僕たちが同じペースでやってても勝てないないと思い、3カ月で1本、年4本ペースで、それもオリジナルを書いて公演してました。立ち上げ当初は、30歳で気力体力も有り余って追いつけ追い越せで尖ってますから勢いでいけるんですけど、5、6年経つとさすがに精神的にきつくなって、気付いたら台本上で人を殺しまくっていた。僕自身、暗い時代でした」  

その暗い時代から脱却したきっかけというのは

「35歳という締め切り日がひたひたと近づいてきた頃、年は違うけど同期のみーかー(玉城美香)がラジオ沖縄の帯番組を担当していて、彼女が産休時に僕を推薦してくれたんです。ときおりラジオ沖縄でラジオカーのレポーターもやっていた縁もあって、代役として水曜日に番組を担当したんです。コミニティーFMでしゃべっていましたが、キー局では初めてだったんでメチャクチャ緊張しましたね。でも、他の人のを聴いてみると、変にかっこよくきれいにしゃべっている。おまえ違うやっさーと思い、地元の友だちに面白いと強く思うようになって、ラジオではぐしかわびー(具志川で話す口語)で話すように心がけたんです。そしたら製作のトップの方が面白いと言ってくれ、新しい番組をやるからパーソナリティーをやらないかとなったんです」  

それが10年以上続いている人気番組『ティーサージ・パラダイス!』なんですね!

「とにかく暇だから番組のパーソナリティーの話がきたときは二つ返事で快諾ですよ。当時はFMのひとり勝ちでしたからプレッシャーもあったんですが、深く何も考えてなかった。後から聞いてみたら、何年以上続いていた民謡の番組を潰して新しい番組にしたために『民謡の番組に戻せ!』、『あれはうちーなーぐちじゃない』と非難囂々の嵐。番組が始まる前に知っていたら、もっとプレッシャーがかかっていたんでしょうね。とにかく、地元の友だちを笑わせたいという一心でした」  

<つづく> 【後編】先行きの不安など考えない 人と違ったことをやるだけ

※このインタビューの全編は沖縄ビジネスライフマガジンJOBANTENNA MAGAZINE(ジョブアンテナマガジン) VOL.1の巻頭インタビューとして掲載されています。沖縄県内のファミリーマート全店にて無料で配布しております。
<PR>沖縄最大の求人マッチングサービス JOBANTENNA(ジョブアンテナ)

関連記事

  • SPECIAL 2017.04.12
    ガレッジセール ゴリの夢 おきなわ新喜劇の先にあるもの|ガレッジセール ゴリ【後編】
  • SPECIAL 2017.04.04
    ガレッジセール ゴリの夢 おきなわ新喜劇の先にあるもの|ガレッジセール ゴリ【前編】
  • SPECIAL 2016.12.24
    「REAL FACE-リアルフェイス」萌芽の時代へと解き放つ|ひーぷー(真栄平 仁)【後編】