CATALYST 役者になるという夢を絶ち、タコライスで世界へ挑戦〜ルーラーズタコライス 渡久地 敦〜

2017年01月20日
ただのタコライスじゃない。テリヤキ、BBQ、シーザー、アボカドチーズなど、8種類のバリエーションが楽しめるメニューで、さらにサイドメニューにはポテトやタコスもあり、お好みでコンボもできちゃう。サイズは、   ギュラーとラージの2種類のみ。これまでにありそうでなかったタコライス専門店『RuLer’s  TACORiCE(ルーラーズ)』。
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ルーラーズタコライス オーナー渡久地 敦(とぐち あつし)28歳

タコライスという文化を全国に広めたい!

58号線の大謝名交差点と330号線の我如古交差点を結ぶ幹線道路(34号線)沿いの宜野湾市真栄原のメインに位置する。オーナーの渡久地敦氏(28)は、『RuLer’s』を沖縄一のファストフード店にし、やがてはFC全国展開、そしてアメリカ進出をも目論んでいる。 「学生時代、飲食業界だけには絶対に就職しないと思っていたんです。イメージ的に重労働ということもあったし、何よりも接客が好きでないと無理なんだろうな〜と漠然に思っていましたから。僕はもともと役者を志していて、大学4年のときに役者になろうと決意して上京したんです。大学3年までの間に卒業するまでの単位をすべて取得し、ゼミの先生と相談し夏休みにスクーリングに行くという条件のもと、大学4年の4月から東京に行きました。しかし、そう甘くはなかったです」  

それだけのルックスがあれば、普通の人よりもかなり優位に挑戦できると思いますが、役者になるっていうのは一般人が想像するより遥かに困難で、さらにいろいろなしがらみ等が混在する特殊な世界だったのでしょうか。

「僕の場合は最初からハンディがあったんです。実は身体に入れ墨が入っているんです。ハリウッドでは俳優陣が普通に入れ墨を入れているので、僕は日本の先駆者になりたい一心もあって役者を目指すことに何の抵抗もなかったんですが、どこの事務所の面接を受けても過『入れ墨が入っていると仕事来ませんよ』と口を揃えて門前払い。ここで一回挫折しましたね」 toguchi atsushi  

その入れ墨のせいで夢見ていた俳優を諦めることになったわけですが、入れ墨を入れたことはやっぱり後悔しましたか?

「確かに後悔はしました。入れ墨を入れたきっかけは、高校時代のときにお気に入りのアパレルショップの店員さんが入れ墨を入れていたのを見て、かっこいいな〜と思い、勢いで胸と左足膝下からガッツリ和彫りを入れました。それでも、東京で業界人が集まる街・西麻布にある飲食のバイトをしながらも、誰かの目にとまってどこか拾ってくれないかなという期待はありました。役者以外にやりたいことがなかったんで、しばらくはモヤモヤしていました。上京して1年間はレッスンを受けたり、いろいろな伝手を辿っていろいろな事務所を受けまくりました。松尾スズキが主宰する『大人計画』が好きで、真冬に江頭2時50分の格好を真似て上半身裸で黒タイツ履いて面接をしてもらおうと3日連続通い詰めたら、3日目のときに〝今度来たら警察を呼ぶ〟と言われ放り出されました。チャンスは少なからずあることにはあったんですが、タイミングが合わなかったりで、役者の夢を断ち切ったのは、ホリプロで面接を受けたときに、『半年後、もう一度来てくれないか』と言われたときです。本当に欲しかったのなら、半年後と言わずに今だろと。要は、需要がないんだ、とここで断ち切れました」  

俳優を諦め、 次なる夢への模索

そこからどうやって飲食関係をやろうと奮起したのですか?

03 「自分は一体何ができるのだろうと冷静になって考えたら、当時ずっとバイトしていた飲食しかないと思い、結構時間はかかりましたが、スパッと切り替えましたね。それで飲食店やるなら何をしようと考えたら、自分はアメリカが好きだからファストフードをやろうと思ったんです。やるんだったら今までにないファストフードということで、タコライスがピンと来たんです。ラーメン、ハンバーガー、牛丼はすでに定着しているけど、タコライスは知っている程度でまだまだ馴染みが薄い。だからこそ、FCとかにすれば一挙に独占できる、ビジネスチャンスがあると思ったんです。沖縄から発祥して東京、そして全国展開し、アメリカに出店してやろうという夢が頭の中ですぐ描けたんです。」  

それで、すぐ沖縄で店を出そうと戻ってきたのでしょうか?

「飲食をやるって決めたとき、沖縄で店を出すって思いましたが、8歳年上の嫁が経営するお店を手伝っていた関係もあって、どうしたらいいかというジレンマに陥っていました。嫁の存在は本当に大きかったです。嫁は、自分の店の従業員には分け隔てなく平等に接していました。もちろん、夫の僕だからといって特別扱いなどしません。自分を犠牲にしてまで人に尽くそうとする人です。だからなのか、そんな嫁を慕って、店はいつもたくさんの人でいっぱいでした。そんな嫁と結婚をしようとした時、決意したんです。嫁の周りが大反対というのもあったんですが、役者にもなれない中途半端な自分が本当の男になるのは、飲食で成功させるしかないと。東京は東京で楽しい街ですけど、やっぱり疲れます。どこかで沖縄に帰りたいという思いもあったのだと思います。誰にも相談せずにただ漠然と沖縄で店を出したいという思いでいたのを、嫁は気付いたんでしょうね。ある日、ネットで沖縄の物件を見ていると、後ろから『とりあえず見に行ってきたら』と背中を押してくれたんです。『とっと沖縄に帰っていきやがれ!』って景気良く押し出された形ですね。開店資金は一千万、自己資金はその4分の1ほどで、残りのお金は公庫といった金融関係等で借りました」  

それで2年前の2014年、26歳のときにオープンしたんですね。

歳のときにオープンしたんですね。 「この『ルーラーズ』を開店したことで、メディアに出るきかっけにでもなればと思ってます。役者をやりたいってことじゃなくて、あくまでもライバルは吉野家です。そのためには、量も変えました。『レギュラーサイズってどのくらいですか?』と尋ねられたら『吉野家の普通盛りと同じです』と答えると、8割方の人がイメージしてくれるんです。それくらい吉野家のブランドイメージは大きいんです。だから暇さえあれば、吉野家、すき家、マクドナルドに行きますよ。出店する前、東京で吉野家、マクドナルドのバイトを掛け持ちしてましたから」
ルーラーズタコライスに店内

ルーラーズタコライスに店内

綿密なデータを取ったうえで、2年前に満を持してオープンしましたが、客足や売上はどういった推移でしょうか。

「オープン最初の週末に情報番組『ウィンウィン』に紹介され、土日はほぼ終日満席状態。売上も一日で十万以上になりました。客数も160から180人は来ましたね。知り合いからは、テレビで宣伝されるともの凄い客足だからと事前に言われていたので、こっちも身構えていました。実際、テレビの宣伝効果を目の当たりにして、こんなもんかなとかなりの上目線で思ったりしましたが、今考えると、とんでもない数字ですよね。やっぱり、テレビの影響力の凄まじさを見せつけられました。その後、2ヵ月くらいまでは売上も良かったんですけど、その後ガクッと落ちました。実は、このとき女房、子どもを東京に残していたので、店長にお店をまかせて3ヵ月ほど沖縄を離れたんです。これがいけなかったんです。最初のプランは6万くらいあれば余裕で回せると思い、4、5万でも大丈夫だろうという計算でした。それが一日3万前後になって、客足も40、50人程度。赤字は全部僕が補填してました。東京から一ヵ月に一回来て2、3日の間は店をみるんですが、そんな短期間では何が原因なのかまったくわかりませんでした」  

原因追求するための不眠不休

宣伝効果もあって順調だった売上が一気に落ち込み、予想もしていなかった展開に戸惑ったかと思いますが、オーナーとしてどういう打開策を練ったんでしょうか。

02 「とにかく、女性ひとりでも入れるようにと、カフェもどきの外装とオシャレを第一のコンセプトにしたので、余計な店の看板もなくて外から見ると一体何の店なんだかわからないんです。 中学生でも気軽に入れるファストフードの店なのに、何の店かわからない。これでは、本末転倒です。店の名前もカタカナにし、のぼり旗も付けて、とにかくわかりやすく展開することから始めました。去年の4月に沖縄に戻ってきてからは、まず周辺のすべての会社を廻ってチラシを配り、ランチタイムのときに会社名を言ってくれれば10%オフするサービスなどを敢行するなどして、足を使って宣伝しまくりました。社員には定休日を与えましたけど、僕は無休で働きました。いきなりガーーッとは売上は上がらなかったけど、落ちもしませんでした。そして、移動販売車を買って、最初新都心で一ヵ月5万の賃料で置かしてもらって販売してましたが、これではラチがあかないと思って、お昼時に弁当屋さんが並んでいる場所に行ったりして売るようになりました。とにかく、いろいろなところを廻って販売しましたね。夜の松山にも移動販売車で廻りました。キャバのお姉ちゃんやサラリーマンの方が〝美味しい美味しい〟と反応が良いので、売上が落ちた原因は味ではない、もっと違うところに原因があるんだとわかったのが大きいですね。松山での移動販売は警察との格闘があったり(笑)、ほとんど寝ないでやってましたから本当にきつかったですね。それでも僕が沖縄に帰ってきてから売上は40万あげました。僕が目指している目標の数字にはまだまだですが、今、やっと落ち着いてきましたね」  

RuLers TACORiCE

話を聞いていると、すべてにおいてストイックな感じの印象ですけど、環境作りには余念がなかったんじゃないですか。特にどのあたりを重点的に考えていましたか?

「とにかく最初に思ったのは、スタッフが働く自分の店を好きになってもらわない限り、店は流行らないし上を目指せないと考え、まずは、厨房、キッチンが働きやすい環境にすることを心がけました。スタッフのストレスがたまらない空間造りでしたね。狭いところで着替えるのって嫌じゃないですか。だからうちはスタッフルームを大きくとってます。次に、キングタコスのように食券のシステムも考えましたが、やはり普通にお客様と接することが大切だと思い、食券は止めました。接客はスターバックス、マクドナルドを越えるつもりで教育してます。沖縄で一番にならないと全国展開もできないし、当然アメリカにも行けません。常にトップの牙城を崩してこそ、未来があります。お客様の目を見て話す。こいつ俺に気があるんじゃないかと思わせるくらい、きちんと目を見て話すことが接客の第一だと考えているので。接客の高い店にすることで、ルーラーズは元気があっていいよね、と外から言われたいし、他の業種にうつっても、ルーラーズで働いていたのなら大丈夫ですね、と言われるくらいスタッフ育成にはある意味全神経を使っています」  

お客様の目を見る大切さ

オーナー自身も20代ということですが、どういった人材を求めてますか

「再三言っているように、人と話すのが好きな人が飲食に向くと考えます。僕も、学生時代から飲食のバイトをやってきて、要領がいいせいかすぐその店の仕組みを理解してなんでもスピーディーにできたんです。でも、東京西麻布の嫁の店でバイトしていたとき、思い切り現実を知らされました。沖縄でやっていた自信からか、簡単にお店を回せられると思ったんですけど、ただ早く回せられるだけで、効率や効果などまったく考えてなかったんです。灰皿ひとつ替えるにしてもなんでもかんでも早く替えるのではなく、お客様のタイミングに合わせてうまく替えるってことなどを覚えました。壁にぶつかったことは、いまオーナーとして大いに生かせています。 バイト募集のときも、外装、内装がカフェっぽいので軽い感じの子が受けて来るのかなと思ったんですけど、意外に真面目な子たちが多いのにはビックリしました。それでも、面接で一度はきつく言うんです。『お金が欲しいと思ったらうちじゃないから別のところを探したほうがいい。とにかくうちは厳しいから。でも君を成長させる場所であるのは間違いない。それでもうちでやりたいのなら連絡してほしい』と言って一旦帰すんです。そうすることで、厳しいところだとわかったうえで判断して来たという自覚を植え付けられる。そして、なにかあったときに詰め寄られる。〝ここには自分の意志で来たんだろう?〟って」  

最近の若者は真面目であるためこちらが言ったことはきちんとやるが、自発的に何かをやろうとはしないといった指示待ち症候群の傾向があるとよく耳にします。オーナーから見て20歳前後から25の若者層について思うところはありますか。

「今の世の中、情報が氾濫し過ぎていて整理できずに混乱している気がします。僕もゆとり世代でありますが、なにくそという根性があった。今の子たちは感じないわけじゃないけど、どうやったらいいのかわからない気がします。若い子には“店を良くするためだったら何でもしてもいい。でも自分で判断がつかないときは一度聞いて”と言ってあります。現在、スタッフは社員1名、バイト3名いますが、月一回ミーティングする際に、何でもいいので話させるようにしてます。いきなり話せといってもなんなので、テーマを決めてエピソードでもなんでも思ったことを語らせます。〝こういう場で言わないと、何も言えなくなるよ〟と口酸っぱく言って、コミュニケーションの練習をさせています。ミーティングは1時間で終わらせます。ダラダラと時間をかけると、終いには座談会になって面白いけど何も残らない。これでは意味がありません。だから時間で区切ってやるのがいいんです」  

最後に、今、いろいろと模索してたり、悩んでいる若者に一言お願いします。

「悩んでいる人に、楽しく仕事しなさいと言ってもどうしたらいいのか分からないと思うし、目標を持ちなさいと言って何を目標にすればいいのかがわからないから悩み苦しんでいるだと思うし……。最終的には、自分次第。考え方で人は変わる。ひとつ言えることは、将来の不安はあるかもしれないけど、まずは目の前にある事を一生懸命やること。それが仕事であったり、片付けなければいけないことがあればそれを全力でやる。そうすれば絶対に未来に繫がっていきます。まずは目の前のことを片付けることが先決です」 <PR>沖縄最大の求人マッチングサービス JOBANTENNA(ジョブアンテナ)

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